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教えるということ

  • 2月25日
  • 読了時間: 2分

更新日:3月15日


10年近く子供に英語を教えていました。

英語を教えていたというよりも、英語を使って子供と遊んでいたというほうが正確な表現になるかもしれません。


幼児や小学生が、時間になるとバーンとドアを開け教室にやって来て、何やらこちらの分からぬことをごちゃごちゃと話し、またこちらの理解できぬことをあちらは理解した様子で納得し、さてクラスが始まると、それはすごいスピードでどんどん英語を吸収していく姿に心を躍らせながら毎日過ごしていました。


しかし、何度か教えていた生徒が教室をやめるということにも遭遇しました。それが受験や他の習い事を優先するということであれば、それはこちらの問題ではありませんが、そう言った理由ではない場合もありました。


子供ですから自分でやめるということはあまりなく、大抵は家族が言ってきますが、その中に「英語を嫌いになってほしくない」と言って辞めたケースがありました。これは言いかえれば、「ここに子供を残しておけば、英語が嫌いになる」と言っていると同じです。それはつまり、私と一緒にいたのでは子供が傷つき英語を嫌いになるということです。


ショックでしたが、それが事実でした。私には子供はいませんが、親や家族やその子を愛する人たちは、その子が辞めたいと思うまでにどんな思いをしたのか、想像するだに悲しかっただろうと思いました。


教えるということは、そういう思いをさせうるということです。

自分が奪わなくてもよかった可能性を奪うかもしれないということなのだと思います。


都合のいい話かもしれませんが、そんなどこかで傷ついた子供が他に行ける場所、大手を広げて受け入れてくれる場所が、どんな場面であっても存在して欲しいと願わずにはいられません。



 
 
 

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